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アベンジャーズを好きでいてよかった

time 2019/07/05

アベンジャーズを好きでいてよかった
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その昔映画自体が嫌いなわけじゃなかったけれど、ずっと洋画を避けていた時期があった。
邦画の、特に青春を描くような作品の、邦画独特の雰囲気が好きで映画とはそういったものを味わうものだと思っていた時期があった。

どんなに流行った洋画があっても特に観ることもなく過ごしてたのに、
なぜかアベンジャーズのCMにとてつもなく惹かれる自分が突如現れた。

「日本よ、これが映画だ。」

アイアンマンを追ってビルを破壊しながら現れるチタウリのリヴァイアサンの映像に釘付けにされた。
そうして観たアベンジャーズと、生まれて初めて購入した映画のパンフレットが自分とMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)の最初の出会いだった。

アベンジャーズ

アベンジャーズは今年「アベンジャーズ エンドゲーム」と題した10年に及ぶMCUの歴史の集大成となる映画が上映された。
10年に及ぶMCUの歴史で発表されたシリーズはひとつの区切りとなったエンドゲームまでで累計21作に及び、
「過去作を見ていないと楽しめない」と言われながらも総集編を公式発表するわけでもなく、
その過去作を観ることのハードルの高さは特異なものだと思う。
そしてそこまでの特異なハードルの高さを持ちながらシリーズは右肩上がりの成長を続け、世界映画興行収入は現在1位である「アバター」を追い越すあと1歩まで近づいたのは快挙と言えるだろう。

自分がアベンジャーズを初めて観た時はどうだったか。
CMに惹かれて観た映画だから、そこまでの作品の知識もMCUという言葉もアベンジャーズまでの流れがあることも知りはしなかった。
それでも映画の素晴らしさに魅せられ、ヒーローのかっこよさに惹かれ、「この映画のことをもっと知りたい」と思って生まれて初めて映画のパンフレットを手にしたのだった。
その時点でのシリーズは「アイアンマン」「インクレディブル・ハルク」「アイアンマン2」「マイティ・ソー」「キャプテンアメリカ」の5作。
あっという間に過去作を観終わる頃にはもうどっぷりMCUのとりこになっていた。

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約束された次回作を待つ楽しみ

人は楽しみが待っている日常ほど充実して生活することができるという。
僕がアベンジャーズを好きでよかったと思うのは、先の先まで予定されている作品を待つことが生活の原動力となってくれたからだ。

エンドゲームまでの10年間。
これは確実に、そして完璧に設計されたMCUの計画だったと思う。
記憶が定かではないが、たしか自分がアベンジャーズの1作目を観るころにはアベンジャーズ2作目である「エイジ・オブ・ウルトロン」が、
「エイジ・オブ・ウルトロン」を見る頃には「エンドゲーム」(最初はインフィニティ・ウォーPart1・Part2)まで予定が立っていたように思う。
それを知って遥か先のアベンジャーズの4作目まで「なんて先の話なんだ」と途方に暮れながらもわくわくしていた。

MCUの作品の発表は年を追うごとにペースが速まっていった。
今年なんて2019年3月「キャプテンマーベル」4月「エンドゲーム」6月「スパイダーマン」と年3本の作品が公開されている。
一貫したテーマとそこから派生するヒーローの物語としてここまで短いペースで続編を観ることができる作品など他にはなく、
例え主役として描かれるヒーローが違っても大きなMCUの軸のもとで徐々に動いていくもうひとつの物語を追うことに喜びを感じる。

現にここ数年の自分の人生は常にMCUの作品を待つことがひとつの軸だった。
「次は〇月に」「あと△日で上映」とか思っているうちにあっという間に時間は過ぎたし、
思い出せばアベンジャーズの2作目「エイジオブウルトロン」を観終わった後に「インフィニティウォーまでが長すぎる」なんて思っていたのに、
あっという間に「エンドゲーム」の上映初日を迎えてしまった。

ヒーローとしてだけではない魅力

MCUが作り上げた世界は本当に偉大なもので、それぞれのヒーローが絶妙にそれぞれの作品の中でリンクしあうのがまた素晴らしいと思う。
ヒーローがヒーローとしてそれぞれの映画の中で「主人公」としてキラキラと輝いているばかりがMCUではないのだ。
それぞれが作用しあってヒーローではない人間味(人間ばかりではないが)を酸いも甘いも見せてくれるのがMCUだ。
だから各ヒーローはまるで実際に存在している人物であり、特にオリジナルメンバーとも言われる初期アベンジャーズの5人の年を重ねていく姿はまさに一緒に人生を歩んでいるようだった。

そうして多角的に、普通の映画で主人公としての存在でいただけでは決して描かれないような人物像まで見ているとヒーローそれぞれへの思い入れも強くなっていく。

だから、ほんの数年でも彼らと人生を一緒に歩いてきたから、エンドゲームは涙が止まらなかった。
ただの大作映画ではきっと抱けないヒーローへの強い思い入れがあって、
10年という年月でその人の人間としての浮き沈みも見てきたから、
その死はまさに一人の愛しい人の「死」だった。

この気持ちは映画を観て感じる感情のそれをはるかに超えていた。
とにかく悲しく、寂しく、苦しく、もう会えないことがわかったその時はとてもつらかった。

「アベンジャーズ エンドゲーム」はそれくらい他の映画が決して代わりになれない、
とても大切な映画となったのだった。

さらなる10年へ

MARVELと、スタン・リーと、MCUに関わる全てのひとにありがとうと伝えたい。
永遠の眠りにつく直前までMARVEL映画名物のカメオ出演を続けたスタン・リーと、
スタン・リーを囲む大勢のひとの人柄がMCUそのものであり、
途方もない制作費と興行収入だけでイメージする大味な映画とはまったく違う愛すべきヒーローの人物像と物語を描くことができる理由だと思う。

みんなMARVELの世界を、MCUの世界を愛しそこに確かに生きているのだ。
それはファンもそうだろう。

MCUの歴史はいくつかのキーワードで区切られる。
ひとつにこの10年はTHE FIRST TEN YEARSとして飾られた。
フェーズと言われる区切りも「スパイダーマン ファーフロムホーム」でフェーズ3が終了。
「アベンジャーズ エンドゲーム」までの22作品は「インフィニティ・サーガ」としてくくられ、
サノスとインフィニティ・ストーンを巡る壮大な話だったことが分かる。

先述の通りこのエンドゲームまでの流れや構想はかなり前に発表されていた。
これからはというと、フェーズの概念や大きなテーマとしてしっかりと発表されている情報はほぼない。

漠然と各ヒーローの続編が映画とドラマで予定されていることは知ることのできる情報だが、
「アベンジャーズ」「サノス」「インフィニティ・ストーン」のような大きなテーマがまったく見えてこず、
スパイダーマンを見終わり、フェーズ3の終了とともに自分としても一段落している。
(スパイダーマンの終わり方は今後への期待値マックスだったけれど)

次作は「ブラックウィドウ」の単独映画と言われている。
同時に雷神ソーの弟である「ロキ」のドラマ。

きっとアベンジャーズ以上の、インフィニティサーガ以上の壮大なTHE SECOND TEN YEARSを描いてくれるに違いない。
新たな歴史の幕開けを心待ちにする。

こんなわくわくを与え続けてくれてありがとう。

I LOVE MCU 3000.

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